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表情や仕草を交えながら、噺を進めていく。「高座の数をこなすことが、うまくなる方法だと思います」と古川さん
入場者にはお茶とまんじゅうが振る舞われる。毎回多くの人が、古川さんの高座を見に集まってくる
第35回 古扇亭唐変木・百席の会
2005年1月14日(金)
●19:30〜
平26区集会所
(平月見町33-2)
ゲスト/もりもり、コパン
ホ(有)古川測量事務所
@21-2978
http://touhenboku.fc2web.com
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目標は落語百席
「笑い」でいわきを
活気あるまちにしたい
毎月1回、平月見町の〈平26区集会所〉で「百席の会」という寄席を行っている人がいる。名前は「古扇亭唐変木(こせんていとうへんぼく)」こと、古川隆さん。自ら主催するこの会は、11月で54席を迎えた。ゲストとして「いわき芸能倶楽部」のメンバーが交代で出演し、場を盛り上げ、会場は笑いの渦に包まれる。会の活動などのお話を伺うため、古川さんを訪ねた。
自分を変えるために
入った演劇の世界
「百席の会」は、古川さんが53才の時、「60才までに100の噺を語ろう」と始めた会だ。なぜ、60才までにという目標を立てたのか。それは、一生の中でも50代が体力、気力の両面において充実している最後のチャンスと考えているから。その時期に、プロの落語家では当たり前の『百席』を達成しようと思い立ったのだ。一つの噺を一席と数え、一回の会で二席行うこともある。
そもそも彼が芸の世界に入ったきっかけは、高校生の頃にまでさかのぼる。人前で話すのが苦手で、特に女性とは、赤面してうまく話すことができなかったそうだ。「もっと人前でのびのびと話ができるようになりたい」そう思った彼は、思い切って演劇部に入部した。すると、舞台の上では「役」という仮面を借り、だんだんと大きな声が出せるようになった。また、日常生活においても自分自身を存分に表現することができるようになったのだ。これが彼にとっての大きな転機となり、20才の時、劇団「いわき小劇場」を仲間と設立するに至った。およそ10年間の在籍中、数多くの舞台を踏み、たくさんのことを学んだ。どういう時に何が必要なのかという状況を把握する能力、人との話し方・接し方などは、現在仕事をする上でも大いに役立っているという。
演劇から落語へ転向
新たな自分を見出す
古川さんは28才で平に土地家屋調査士・行政書士事務所を開業した。仕事は忙しかったが、それでも演劇活動は地道に続けていた。しかしその反面、限界を感じ始めていたのもこの頃。演劇はいわば団体行動。仕事や子育てが忙しくなるにつれ、芝居づくりに迷惑をかけてしまうこともあった。もっと自由に、自分一人でもできるものはないかと探した結果、たどり着いたのが、東京にいた頃よく見に行っていた『落語』だった。日本の古典芸能である落語。同じ噺でも演じる人によって違ってきたり、同じ人が演じても毎回同じように演じられるとは限らない醍醐味がある。台本がない分やりがいもあるが、同時に、演出、照明に至るまで、すべてを一人で行わなければならないという苦労もあった。時には会場からまったく笑いが起こらず、落ち込むこともあった。しかし、彼は独学で落語を必死で勉強し、その世界に没頭していった。「演劇」と「落語」。一見するとまったく別のもののようだが、「演劇も落語も同じもの。落語はいわば一人芝居ですから」と話す。のちに「いわき落語研究会」へ入会。さまざまな寄席を経験し、芸の腕を磨いていったが、「いわき落語研究会」は1996年に解散することとなったため、その翌年「いわき芸能倶楽部」を立ち上げ、新たな活動を開始した。
芸能活動を通して
まちの活性化を願う
「いわき芸能倶楽部」は、落語、音楽、マジックなど、ジャンルを問わない芸を通じて、「笑い」でいわきを元気にしていこうという団体。毎年開催される「いわき芸能フェスティバル」の他、公民館や施設、イベントなどでも精力的に公演を行っている。声が掛かればどこへでも行って公演を行う。その数は年間およそ70公演。現在はその志に賛同したパフォーマーたちが15組所属しているが、常に周囲にアンテナを張り、新しい人材を探しているという。「新人を見つけたんですよ。芸はヨーヨー。おもしろそうでしょ?いわきにもおもしろい人はまだまだいると思いますよ」
演じるだけでなく、演劇普及にも力を注ぐ彼は、約10年前に「ほろすけの会」を結成した。結成当初は 「いわき市出身の演劇人を支援し、いわきで公演を行う」ことを目的にしていた。しかし、現在では「芝居を作る側も応援しよう」とサポートの幅を広げた。来年4月には初のプロデュース公演「三人家族」を〈いわき市文化センター〉で上演する。先日オーディションを終え、稽古が始まったばかりだ。彼はこの会の事務局長を務め、裏方に徹している。
11月で早くも54席を終えた「百席の会」。「100席を終えたら、次は何を目指しますか?」と尋ねるとこんな答えが返ってきた。「先のことは考えていません。今は百席を終えることが目標ですから。でも、百席を終えてもきっと続けているでしょうね」
時には落語家として、時には演劇制作者として芸の道に生きる彼の思いは、きっと後世にも伝わり、いわきを活気あふれるまちにする大きな原動力となるだろう。(菊田) |
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