大人が一生懸命夢見る姿が
子どもたちの未来に繋がっていくと信じて |
|
|
キャンプを通して知った
自然を感じることの魅力 |
|
開拓途中のインディアン村を訪れたのは、真冬の晴れた日曜日。自然のままの里山が広がるこの場所で、真っ赤なつなぎを着た男性が笑顔で迎えてくれた。吉田拓也さん(40歳)は、「アースデイいわきinインディアン村」の主催者の一人。電気も水道も道もない山を機械は使わずに人の手で整備し、今までにないゼロからの「村づくり」イベントを開催しようとしている。
大学進学のために上京するまで全くアウトドアに興味がなかったという彼がその魅力に出会ったのは、アルバイト先の先輩の影響で始めたキャンプだった。初めてのキャンプは北海道2週間の旅。失敗することも多かったが、たくさんの人と出会い、体全体で自然を感じることができた。「次はどこに行こうとか、毎日考えることはキャンプのことばかりでしたね」。
就職してからも、週末はキャンプ三昧。平日は仕事に打ち込み、金曜日の夜、仕事が終わるとそのまま装備を持ってアウトドアへ。月曜日の朝に直接会社に出社するという生活を続けていた。 |
|
↑村づくりには様々な協力者が駆けつけている。中央・黄色いつなぎの方が島村守彦さん。主に2人でイベントを主催 |
|
|
|
ティピーとの出会いから
動き出した人生 |
|
やがてアウトドアブームが訪れた。同じようなスタイルのテントが並ぶ中、人と違った何かがしたいという気持ちが沸いてきた。そんな時に出会ったのが雑誌の一ページ。どこまでも続く青空をバックに悠然とそびえる大きなテントの写真、アメリカ先住民族の住居『ティピー』だった。「一瞬で目が釘付けになりましたね」。
早速、手に入れたいと考えたが、当時はインターネットで検索しても引っかからず、販売ルートも不明だった。そこで、「売ってないのなら自分で作るしかない」と6畳一間のアパートでの巨大なティピー作りが始まった。ミシンを触るのも初めて。全て自己流で図案を起こし、ひたすら布を縫い合わせ、半年かけて高さ4メートルのティピーを完成させた。「初めてキャンプ場に立てた時は感激でした。だって、すごく目立ちましたから」。
元々独立願望が強かった彼は、仕事も順調だったにもかかわらず、30歳を機にサラリーマン生活にピリオドを打った。そして、食いつなぐためにアルバイトを始めた。そこで知り合った知人から、ティピーをテレビで取材させてほしいと依頼された。「少ないながらもギャラまで頂いて、無計画に仕事を辞めてしまったけど、自分にはティピーがあるじゃないかって勇気が沸きました」。翌年にいわきへUターン、ティピーの制作・販売会社ジーフィールドを立ち上げた。 |
|
↑初めて手作りしたティピー。いわきにUターンし、新舞子の海岸にて決意表明の記念に撮った一枚 |
|
|
|
地球のためにできること
第一歩は「行動する」こと |
|
当時、認知度の低いティピーは、当然のことながら需要はゼロに等しかった。「もっとこの魅力を多くの人に伝えたい」と切実な思いを募らせていた時に出会ったのが、大阪出身でいわきへ移転して来た島村守彦さん。彼に自分の夢を話すと「やればいいがな」の一言。彼の友人を介して、運良く東京ビッグサイトでのイベント「デザインフェスタ」に参加することができ、年2回、連続4年出展した。
インディアンの衣装も板についてきた頃、少しずつ市内外からイベント会場などでティピーを使いたいと声が掛かるようになった。そして、人との交流、自然との交流を深めていく中で、自分のことだけではなく、人のため、地球のために何かできることはないだろうかという思いが生まれた。
「インディアンの言葉に『七世代先の事まで考えなさい』という言葉があるんです。子供、孫、その先ずっと未来の子供のことまで考えたら、今できる事をできる範囲でワクワクしながらやりたいと思って」。そして、その思いに賛同する島村さん、多くの協力者の力を借りて、今回「アースデイいわきinインディアン村」を開催することになったのだ。手作りの村役場の他に、映画の上映、「こんなことがやりたい!」という人にもどんどん場所とチャンスを提供したいという。
作業は急ピッチ、人の手だけで造り上げていくことは問題も苦労も多い。けれど、作業に参加する大人たちの顔は、真剣でありながらもみんなどこか楽しそうだ。「島村さんといつも言ってるんです。『やめない限り失敗ではない』って。だからこの活動はずっと続けていきます。そして子供たちに『行動すれば何かが変わるんだ』って大人が見本を示したいんです」。
夢見る大人がいてもいいじゃない。ワクワクとした気持ちの種をこの場所でたくさんの人に見つけて欲しいと思った。 |
|
↑イベント会場にはインディアンの格好で参加。子どもたちからも大人気 |
|