次の世代に伝えたいもの、忘れたくないことを
ちぎり絵の絵本に託して |
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■戦争体験や昔の風習を絵本として制作 |
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昭和20年の暑い夏の朝のこと。友子さんが一人で庭に立っていると郡山の方向からB29が飛んできた。戦時中なら毎日のように出会う光景だ。「爆弾だ!!」身を伏せたそのそばに白い紙がパラパラと落ちてきた。おそるおそる開いてみると”アメリカは鬼ではありません。あなたたち日本人は間違った桃太郎伝説を信じている“と書いてあった。数日前にもアメリカ兵が上陸した時に備えて竹槍訓練をしたばかりだった。ヤーヤーと闇夜の空を突いて。寝物語で「アメリカ兵はみな鬼だ」と教えられてきた友子さん。「鬼じゃなかったら、なに?」しかし、その答えは2日後には知る必要が無くなった。雑音だらけのラジオから流れる玉音放送。初めて聞いた天皇陛下の声は、日本の敗戦を告げていた。日本が戦争に勝つことだけを信じて生きてきた味戸さん一家は、茫然自失となり、ただ立ち尽くすばかりだった…。
今でも目を閉じればそんな光景が鮮やかに甦る。しかし、もう81歳、記憶もだんだんと薄れていく。でも自分が伝えなければ、きっと歴史の中に埋もれてしまうだろう。そこで絵本にしてたくさんの人に知ってもらおうと、作り始めたのが平成15年。実はその1年前から手作り絵本講座に参加し、自分が飼っていた亀を主人公にした『帰ってきたかめ太郎』という本を完成させた。絵は長男・宏一さんが書いてくれた。翌年には念願だった昔の風習を再現した『今は昔の四方山ばなし』を作った。それ以降も毎年、手作り絵本展に出品するために、1冊ずつ製作し、5冊の本が完成している。 |
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■親子での共同作業イメージを伝えるのに苦戦 |
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当初は短歌を詠んでそのイメージに合わせた絵を宏一さんに描いてもらった。ほっかむりをしたお父さんが枝に刺したへびを高く挙げ、子供たちが珍しそうに集まっている絵には「畦草を背負いて帰る父の手に 棒に刺したるまむしの土産」という歌が添えられていた。平成17年の『郷愁』からは、ちぎり絵を導入。まずは物語とおおまかな絵を友子さんが書く。それを元に宏一さんが絵と文字のレイアウトをし、トレーシングペーパーに清書する。そしてカーボン紙をはさんで本となる画用紙に書き写す。かつてスーパーストアのポップを作っていただけに、イラストと文字はお手のものだ。書き写された線画を友子さんがちぎり絵として完成させていく。それが主な工程だ。
しかし、宏一さんが昔の農耕器具や着物などを知らなかったために、それらを表現するのが大変だった。年に一度、植田で行われていた「山田奴行列」の衣装を教えるために家中の本を探したという。その甲斐あっていきいきと昔の風景を再現することができた。 |
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■今年の作品の抱負…いじめ問題に取り組みたい |
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昨年完成した『追憶』には冒頭に書いた終戦2日前のエピソードをはじめ、ずっと消息不明だった兄が大きな蚊帳と米を携え、ビルマから帰還したことなども描かれている。前作は、ちぎり絵の色使いも華やかだったが、今回は戦時中のことが多かったため、一見地味なようでも細部に渡る表現力は目を見張るものがあった。絵本展の際に寄せられた感想…。「素晴らしいの一言しかありません。私は70歳ですが、絵本を見てその当時のことがすぐにわかります」「昔を思い出し作られた絵本に感動しました。今の子供たちには想像しかできないことですが、伝えていきたいこと、忘れたくないことを感じました」
毎年、友子さんの作品を楽しみに待っている人がいる。だから頑張ってまた作る。今年の構想は?という質問に「いじめ問題を取り上げたいんです。昔は囲炉裏を囲んで家族でご飯を食べたけど、今は個室にこもってしまい話をする機会がない。私も昔からチビチビって言われたけど、強い子の前で絵を描いたら、それからいじめられなくなったの。一つでも人に優るものがあれば、勝つことができるんです。自分や他人や人生に。私の息子や自分の体験をモチーフにして描けたらいいなって思っています」と笑って答えた。
友子さんしか表現できない世界を、今年も見てみたいと心から思った。 |
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↑「道具さえあればどこでもちぎり絵はできるの」と自宅の茶の間で制作をする友子さん |
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