じゃがいも料理に心を込めて
変わらぬ味を守り続けて30年 |
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■ポテト専門店の誕生と2人が出逢った青春時代 |
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いわき駅から徒歩2分、駅前の喧騒の中、そこだけ時間が止まったような佇まいの店がある。それが〈ポテトハウスじゃがいも〉。かつては、店にラクガキ帳が置かれ、たくさんのメッセージが書き込まれていた。その数は400冊以上にもなったという。
オーナーは前山隆さん、大阪生まれの60歳。阪神タイガースファンのとても気さくな方だ。団塊の時代に生まれ、法政大学に進学するも学生運動の混乱の中にあり、2年で中退した。その後、本屋や飲食店で働きながら、当時では先駆けのミニコミ誌を始めた。東北担当だった彼に記事の批評などを送ってきた女性がいた。それが現在の妻である成子さん。その本を知るきっかけを作ったのは、当時同級生で、女優の秋吉久美子さんという裏話も…。大学進学で上京した成子さんが、編集部を訪ねたことがきっかけで、お付き合いが始まった。
36年前、現在の〈東急イン〉の場所に両親が経営する〈福住旅館〉があった。そのガレージの一角でポテト料理専門店をスタート。メニューの考案から店づくりなどは長女夫婦が行った。母親が函館出身なこともあり、「北海道らしい食材にしよう」とじゃがいもをメインに。しかし、長女が体調を崩し、当時東京に住んでいたまだ22歳の成子さんが店を任されることに。折りしも前山さんは、たった一人の母を病気で亡くし、天涯孤独となったばかり。「もう帰るところもなくなってしまったし、これからは自由に生きよう」と、店を一緒にやっていくことを決心した。
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↑熱狂的阪神ファンの隆さん。写真の85年優勝時は店も客も大盛り上がり! |
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↑グラタンにかける大きなゴーダチーズ。毎日削り立ての美味しさを提供している |
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■3姉妹が奏でる個性豊かなポテト料理 |
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1978年、不慣れな2人は日々手探り状態。それでもあれこれ工夫しながら、今のレシピを確立していった。そんな中、〈東急イン〉の建設が決まり、完成までの2年間は目の前にある〈じゃがいも5階〉で営業。数ヵ月間は、同時期に始めた郷ヶ丘の〈じゃがいも家族〉を入れた3店舗を経営していたことも。その後、姉も復帰し、〈じゃがいも家族〉は長女が、〈じゃがいも5階〉は次女が経営。かくしてこれが本当の「姉妹店」になったのだ。
3店舗には、共通のメニューもあるが、種類や味付、雰囲気が少しずつ異なる。〈ポテトハウスじゃがいも〉は、週末にはランチを求め、若者やカップル、時には外国人などで賑わい、夜はノスタルジックな雰囲気の酒場となる。現在は〈郷ヶ丘幼稚園〉の園長をしている成子さんに代わり、長男の太郎さんが店の機動力となっている。他の2店舗は個性的な食事メニューやドリンク類が豊富。老若男女問わず、くつろげる空間だ。
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↑JAZZが流れる中、一人酒もすすむ。奥には懐かしのマンガ「ガロ」も… |
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■全てのはじまりはマッシュポテト |
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料理の一番基本となっているのがマッシュポテト。じゃがいもは創業当時からずっと「キタアカ
リ」を使っている。作り方は、じゃがいもを圧力鍋で一気に蒸し、すぐにマッシャーでつぶす。その時裏ごしはしない。少し原型が残っているくらいがベスト。そして、バター、生クリーム、塩コショウなどを入れてよく混ぜ合わせる。グラタンの中でも一番人気の「チーズコーンポテト」は、ホクホクのマッシュポテトとシャキシャキのコーン、こだわりのゴーダチーズがまったりと溶け合う、北海道の旨みが凝縮した逸品だ。「食べると全速力で走ったように汗がでる」と常連客が表現したことから「走るカレー」という異名がついたほど激辛の「ポテトカレー」。こんもり盛られたマッシュポテトをカレーの配分と考えながら食べる楽しみもある。他にも10人中8人は注文する人気のメニューがある。特製のドレッシングを付けていただく「スティックサラダ」である。「決して主人公にはなれない名脇役」とご主人が言うところのドレッシング。けれども、コレがなければ野菜の旨みは引き出せない。マヨネーズ、にんにく、味噌など秘密の食材がほどよく配合されている。
最後に「30年以上やってこれた秘訣は?」と尋ねると「料理の味うんぬんより、人かな。代々、あったかいスタッフに恵まれましたよ」と彼は微笑む。この店の料理はどこか懐かしく、優しい味がする。その理由は、客とスタッフが残した古ぼけたノートが教えてくれた。 |
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↑激辛の「ポテトカレーセット(950円)」。スティックサラダが癒しになる |
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