内郷で戦前から続く和菓子専門店
淡い桜色に染まった春を感じる逸品 |
|
|
■和菓子を通して日本の「春」を感じる |
|
「つぶし餡」と大きな「赤えんどう」がたっぷり入った「豆大福」を名物とする和菓子の老舗。その店の始まりは戦前。「富久美屋」として、現在の〈内郷駅〉近くに菓子製造業として店を構えたのが始まり。戦時中は休業し、名前を親しみやすい平仮名の「ふくみや」に変更し再スタート。現在の場所に移転し販売もできる店舗にしたのは、今から47年前。開店と同時に次々とお客さんが訪れ、名物「豆大福」は毎日500個ほど販売するという人気の和菓子屋だ。
和菓子は、秋は栗や柿、夏は涼を感じさせるために葛などを用いて、季節感を表現する。店には季節ごとに約15種の和菓子が並ぶ。そして〈ふくみや〉には暦の上で春を迎える頃、桜色の商品が登場する。それは「桜のおはぎ」と「桜まんじゅう」。地元の桜が散るまでの限定商品だ。餅米を淡い桜色に染めた「桜のおはぎ」には、餅米に合う特製のつぶし餡が入り、桜の葉で包む。見た目は、関西風の桜餅「道明寺」に似ているが、葉の上に乗せられた塩漬けの桜の花で、まるで花見をしているような香りも楽しめる。「桜まんじゅう」の特徴は、桜の葉を練り込んだ餡。薄い緑色の餡は塩味が効いていて、ふっくらと蒸されたやわらかい皮との相性もいい。また可愛らしい桜の焼き印も春の土産物として人気だ。
|
|
↑塩味がきいた餅皮の「豆大福(90円)」はじっくり煮込んだつぶし餡がたっぷり |
|
↑三代目ご主人の奥さん、早苗さん。接客と製造を手伝い家族みんなで店を守る |
|
|
|
■創業当時からつづく「甘み」を守ること |
|
昔から、家族を中心に店を守ってきた。現在は二代目の秋山三男さん、三代目の智寛さんが先頭に立ち、奥さんや親戚が早朝から和菓子を作っている。店舗と作業場、住まいは同じ敷地内にあるため、智寛さんは小さい頃から、簡単な和菓子作りを手伝い、慣れ親しんでいた。家業を継ぐことはごく自然で、何より和菓子が好きだったという。地元の高校を卒業後は迷うことなく〈東京製菓学校〉へ進学し、和菓子を一から学ぶことにした。学校を卒業後、この道を追求するために東京都内の有名和菓子店で修行した。小さい頃は「小倉餡」と「白餡」ぐらいの区別しかなかったが、様々な角度から和菓子を学び奥深さを知った。砂糖や米、小麦など比較的少ない種類の原料により生み出される和菓子。その個性を決めるのは「餡」になる。それは和菓子の命ともいうべき大切なもの。その「餡」の魅力を知り、改めて実家〈ふくみや〉の「餡」を守り続けようと決意。地元へ戻り約10年経つが「餡」を守るため今でも修行中という気持ちを忘れず、毎日真剣に和菓子作りをしている。それは、全ての和菓子に一つひとつ違う、それぞれに適した餡を使うという昔からのこだわりがあるからだ。初代の秋山政吉さんから代々受け継がれた「大切であり、当たり前なこと」。最近ではヘルシー志向の商品が増えつつあるが、戦前から原料の配合を変えることなく、昔懐かしい甘みを守り続けている。仕込みは、前日の夜から始まる。18キロの小豆を水に浸し、豆のくどさと嫌味を抜く。翌日には渋みが取れる。それをコトコト大きな鍋で5時間煮る。煮る方法や製造過程などで変化をつけ「こし餡」「つぶし餡」「皮むき餡」などにし、白餡も同様に「うめ餡」「うぐいす餡」など製造する和菓子と同じ種類の餡を作る。この作業を毎日続け〈ふくみや〉の「いつもの味」になるのだ。 |
|
↑和菓子屋の朝は早く、昼過ぎまでフル稼働。手際よく作業が進む |
|
↑三代目ご主人の奥さん、早苗さん。接客と製造を手伝い家族みんなで店を守る |
|
|
|
■いつもの場所にあるお気に入りを求めて |
|
数年前、何気なく商品の陳列を少しだけ変えた日があった。その日に限って「豆大福はないの?」「もう売り切れたの?」と、まだ販売している商品に対する質問を多く受けた。「この場所にないから、売り切れだと思ったよ」。その言葉に申し訳ない気持ちとうれしさが込み上げてきた。「お客さんは、お気に入りの商品の場所まで覚えてくれている」。散歩中に立ち寄ってくれるおばあちゃん、遠方から毎週買いに来る家族連れ。その、みんなが「いつもの」を求めて店に訪れる。毎日、同じ数の和菓子を作り、同じ時間に開店する。ごく普通で当たり前のことかもしれない。しかし、その毎日の当たり前が「いつものお気に入りがある店」として多くの人が通い続ける一番の理由だと強く感じた。 |
|
↑国道6号線沿いに佇む |
|