自立のために始めたラーメン店 |
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■厨房でパート勤務覚悟を決めた下積み時代 |
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小名浜港へと向かう道の途中にポツンと佇むラーメン店。主人である白渡初子さんが10年ほど前、たった一人で始めた。生まれは石川県の輪島。実家は兼業農家だった。一人娘として大事に育てられた彼女は、高校卒業後、横浜に就職し、知人の紹介で知り合った男性と結婚。いわきに移転した。2人の子供にも恵まれ、専業主婦として生活した。平凡な生活の中で、だんだんと夫と心のすれ違いが生じ「自分って何だろう。このまま一生我慢しながら生き続けるのかな、もっと自分らしくありたい」そんな気持ちが膨らんでいった。
子供が小学校に入学し、手がかからなくなったのをきっかけに洋食店へパートで勤め始めた。料理は元々好きだったこともあり、厨房での作業は意外に馴染めた。その後、中華料理店で6年間働き、経験を積んだ。「とにかく混む店だったから体力勝負でした。若いスタッフには負けたくないとがむしゃらでしたよ」と当時を振り返る。既に別居をしていた彼女は一人でも生きていけるように、自立しなければ、と精一杯働いた。 |
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↑おだんご頭がトレードマークの白渡さん。重いフライパンも軽々 |
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■知人の助言から繁盛店へチャーシューがウリに
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そして、平成9年に独立を果たした。現在の店からは少し離れた、駐車場もなく立地条件も悪い場所だった。調理・接客・出前をたった一人でこなし、身を粉にして働いても、売り上げは上がらない。何とか家賃が払えるという苦しい1年間が過ぎた。そんなある日、業者から「どんなに美味いラーメンを作っても、待っているだけじゃ人は来ない。宣伝も時には大事だよ」とアドバイスを受けた。そして紹介されたのが朝日サリー。何とか広告費を捻出し、掲載した記事を見て新規のお客が訪れた。そしてまた別のお客を呼んでくる。美味しい評判は徐々に口コミで広がり、数々のグルメ本などでの取材依頼も舞い込むようになった。
開店の際、チャーシューを店のウリにしようと決めた。「損をしたら困るけど、儲けなくてもいいから、美味しくて大きなチャーシューで少し得した気分になってもらいたい」という思いを込めて。チャーシューは余計なものは一切入れず、醤油のみで3時間煮込む。麺が隠れるほどの大きなチャーシューが4枚入ったチャーシュー麺が当時650円。ボリューム、値段共に嬉しいメニューだった。平成12年に、現在の場所に移転。息子さんの結婚式の翌日であり、徹夜で仕込みとなった。〈アクアマリンふくしま〉のオープンの相乗効果もあって店は軌道に乗り始め、1年半で住まいを購入するに至った。現在は3人体制で営業を行っている。 |
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↑赤い外観が目印。小名浜港に行く途中にポツンと一軒ある |
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↑清潔に磨き上げられた店内。奥にも座敷があり、ゆったりとくつろげる |
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■自然素材が凝縮したオリジナルの醤油ダレ |
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〈悠悠〉の麺は創業当時から変わらず、細縮れ麺を使っている。店のスープに一番よく絡みやすいという。スープはとてもシンプル。鶏ガラ・豚・野菜などからダシをとり、匂いや風味がきつくならないよう絶妙なバランスをとっている。一番人気は醤油ラーメンで、オリジナルの醤油ダレが味の決め手となっている。他店で勤めていた頃に覚えた秘伝のタレは試行錯誤を重ね完成させた。ショウガ、鶏ガラ、昆布、タマネギやニンジンなど10種類以上の素材を煮込み、独特の旨味とコクを出している。「スープは大体入れるものが決まっているでしょ。他店との違いを出すには何か?といえば醤油なんだよね。業務用のは手間もいらず味も安定しているけど、うちでは醤油ダレを作ってるから素朴だけど印象に残る味なのかな」。ダシには化学調味料は一切使わず、野菜から出るやさしい甘さを生かしている。
安定した主婦という道を捨て、自立し、生活のために始めたラーメン店。彼女の流儀はただひとつ。遠くは見ず、先のことで深く悩まないこと。「人生色々あったけど自分が苦労したとは思わない。必死でその時、その時を乗り切って過去は振り返らないの」。そして微笑みながらこう続けた「お客さんとの日々の出会いが私を元気に楽しくしてくれるから、今は幸せです」。
何かにつまづいた時、彼女のラーメンを食べに行って欲しい。あたたかいスープが心を柔らかく包んでくれることだろう。 |
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↑外はカリカリ、中はジューシーな手作り餃子はやみつきになる |
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