家族のために始めたうどん専門店
22年間変わらぬ味を提供
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■自動車整備工場の閉鎖で生活は180度変わった |
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市内にもうどんの名店はあるが、ぶっかけの種類の豊富さはここが一番という店が6号バイパス沿いの〈めんいち〉。昭和60年に創業以来、22年間、変わらぬ味を提供し続けている。
ご主人の草野一二さんは昭和19年田村郡小野町生まれ。実家では製麺所を営んでいた。近隣の農家から小麦を預かり、製粉し、うどんにして届けていた。一二さんは学校から戻ると家業を手伝うのが日課で、常にうどんが身近にあった。高校卒業後は自衛隊に入隊し、自動車整備に関する多くの資格を取得た。6年間勤務した後、3人の兄弟と共にいわき市で自動車整備工場を始めた。工場は順調だったが、一二さんが40歳になっ年、道路拡張から立ち退きを余儀なくされた。このまま続けていくべきか否か兄弟で話し合った結果、廃業することを決めた。「4人の子供を養っていくためには働かなければならない」と新たに職を探したが、年齢を理由に断られた。とりあえず三交代の仕事に就くが、体がついていかなかった。
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↑入り口脇にいろりがあり、店内は太い天然木を生かした懐かしい雰囲気。奥は座敷になっており子連れでも安心 |
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■さぬきうどん店から教えられた本場の味 |
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限界を感じた一二さんの頭に、幼い頃の記憶がよぎった。自分が打ったうどんを、配達先の家族がテーブルを囲んでおいしそうに食べてくれたこと。「そうだ、うどん屋だ!」そうひらめいた一二さんは市内のさぬきうどん専門店としては草分けであり、親戚でもある〈めん道楽〉で修行。その後、東京のうどんの専門学校にも通い、奥さんと一緒に四国へ飛び、本場のさぬきうどんを食べ歩いた。金比羅神社近隣にある名店を訪ね、「これからさぬきうどんの店を開店したいので、ぜひいろいろ教えてください」と懇願した。約束も無い、面識もない珍客に最初は渋っていた主人も一二さんの熱意に根負けし、ダシの取り方やうどんの打ち方などをアドバイスしてくれた。
かくして半年後、郷ヶ丘の自宅の一角に念願の店をオープンさせた。8帖2間を改装したこじんまりとした店で、しかも住宅街にあったにも関わらず、本場仕込みの味は評判を呼んだ。いつもたくさんのお客でにぎわい、出前も間に合わないほどだった。平成2年には現在の場所に移転。再スタートを切った。 |
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↑「ざるうどん(520円)」。つやつやと輝くうどんは一人前600gのボリューム
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■試行錯誤を繰り返し最高のうどんを打つ |
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〈めんいち〉を開いたのはもう一つの理由がある。次男の勝美さん(32歳)が軽い自閉症で、中学校で受けたいじめがトラウマとなり、ほとんど会話をしなくなってしまった。「将来この子が働ける場所を残したい」という強い気持ちが一二さんの原動力となり店を継続してきた。勝美さんが15歳の時からあえて危険な天ぷらを揚げる作業を教えた。最初は10分の練習から始まり、何度失敗しても一二さんは根気良くつきあった。今では「天ぷらのプロ」と称するほどの腕前に成長。カウンターの奥で天ぷらを揚げる傍ら、「いらっしゃいませ」とお客さんに元気よく声をかけるほど明るくなった。
〈めんいち〉のうどんは手作業と機械を組み合わせて打つ試行錯誤を繰り返して、今の麺が完成したそうだ。「加水量と塩量そして熟成がおいしい麺に仕上がる条件です」と教えてくれた。前日に練ったうどんは一晩熟成させ、朝7時からのばして仕上げる。ダシにはかつおぶし、いりこ、こんぶを使用。あっさりとしながらも、うどんによく絡むつゆはこの店ならでは。メニューも数ページにわたるほど豊富で、ぶっかけだけでも20種類近くある。ただでさえボリューム満点だが、学生向けに大盛りサービス(出世盛り)を行っている。「サービス盛り」から「超出世盛り」まで通常の2倍以上の量なのに割り増し料金をとらないというから驚きだ。「育ちざかりには食べて欲しいからね」と一二さん。
子を思う気持ちから生まれたさぬきうどん、これからもずっといわきの地で愛され続けていくことだろう。 |
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↑勝美さんが揚げる天ぷらはカラッとして中はジューシーとお客さんからも好評 |
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↑合掌造りの店の前で。左から長男・貴光さん、奥様・正子さん、次男・勝美さん、次女・弘子さん、ご主人・一二さん |
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