親から子へ代々受け継がれる匠の味
菓子作りとまちづくりに真剣に取り組む |
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■いわきで初めての柏餅作り続けて40年 |
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開店と共に人が押し寄せ、午後の早い時間に完売してしまう柏餅がある。それが〈菓匠 梅月〉の柏餅。柏の葉にそっと包まれた餅は、家庭で作ったような真ん丸な形。「どこか懐かしくて、ほっとする味」…初めて食べた人も、そんな風に感じる素朴な味わいだ。創業明治24年。初代曽祖父が、四倉での修行を経て現在の場所に開店した。当時、久之浜は港町として栄えており、仙台駄菓子のような素朴な菓子を作って販売したところ、飛ぶように売れた。上生菓子を作るようになったのは戦後。現在は3代目主人の片寄清次さん(77歳)が看板を引き継ぐが、いわきで初めて柏餅を商品化したのが彼である。東京の製菓学校卒業後、6年間住み込みで修行。早朝から夜7時、8時まで仕事をし、家に帰れば子守や家事が待っていた。最初は洗い場のみの作業が続く。もちろん技術を教えてもらえることはなく、目で見て、覚えるしかなかった。年季が明けた後、いわきに戻ってからもいくつかの店で修行を積み、家を継いだのは25歳の時。あれから50年の歳月が流れた。 |
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↑蒸かしあがったばかりの柏餅。きれいなツヤがあり、ふっくらとしている |
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■4代目の他界で再び菓子作りの現場へ |
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今から25年前に、長男・清一さんを4代目として迎え、清次さんは一時期菓子作りを離れていた。清一さんは東京の大学の経済学部に入学後、夜間は製菓学校に通うような努力家。店を継いでからも、試行錯誤しながら研究を重ね「海竜クッキー」や「波立」など、本格的かつ店の看板ともなり得る洋菓子を作った。しかし残念なことに昨年、心筋梗塞に倒れ、51歳の若さで他界された。そして再び清次さんは菓子作りの現場に戻った。「製菓学校に通っている孫が帰ってくるまではもうひと踏ん張りしないと!」と意気込みを語ってくれた。現在、久之浜・大久地域づくり協議会の会長も兼務。「久之浜は自然が豊かで、意外と知られていない見どころがいっぱいあります。それらを大切に守り、自然を生かしたまちづくりを進めています」と語る。久之浜の魚はブランド品とも言えるほど首都圏では高値で取り引きされている。しかしながら、その事実を知らない人は多い。そこで始めたのが「(海竜の里)久之浜漁港まつり」である。毎年10月の第3日曜日に行われるこのイベントは、昨年で6回目を数えた。菓子作りを通じて、久之浜全体のまちづくりを考える、そんな「地域」を愛する姿勢から出せる味なのではないだろうか。 |
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↑久之浜で出土した「フタバザウルス・スズキィ」にちなんで作られた「海竜クッキー」。 |
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↑大きな釜で4時間あずきをゆであげる |
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■素材へのこだわりが一番であり続ける秘訣 |
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柏餅の特徴はなんと言っても青々とした草餅。もち米はコシヒカリを使用、ヨモギの他に山ゴボウの葉を入れている。ヨモギの季節になると、清次さん自らが早朝の山に入りヨモギをつむ。山ゴボウは阿武隈山脈のものを。ヨモギよりも1ヵ月ほど遅れて採りに行く。1年分を確保するのは至難の業だ。「草餅ファンの奥様が『便秘が治ります』と喜んでくれました」。繊維質たっぷりで女性にうれしい素材であることは間違いないようだ。中には自家製のアンを使用。あずきは上質の北海道産、水は還元水を使っている。上白糖ではなくザラメを使用しているのは程良い甘さと後味のスッキリ感のため。「材料を吟味しないと大きいメーカーに負ける」そう語るご主人は他の原料にもたくさんのこだわりがある。シュークリームには川内村の〈獏原人村〉の卵。ストレスのない平飼いの鶏の赤玉は濃厚な味を醸し出す。クッキー、ロールケーキに使用する小麦粉も上質なもの。砂糖もオーガニック。「いいもの」を創り出すには原料に妥協は一切しない。
「世の中に未来永劫栄え続けられるものはない。いい時もあれば、悪いときもある。お店だってそう。だから時代を見つめ、時流に乗るためには日々努力していないとね」と話す清次さん。老舗という看板に奢ることなく、今日も真剣に菓子作りに取り組んでいる。端午の節句を目前にし、今、1年で最も忙しいシーズンを迎えた。 |
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↑和菓子、洋菓子作りのすべての工程をこなす清次さん |
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