昔ながらのパスチャライズ製法にこだわる
牛乳屋さんのプリンは濃厚でなつかしい味
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■宅配をメインに約90年 三代目が歴史を受け継ぐ |
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牛乳配達のガチャガチャと瓶がぶつかり合う音が静まりかえった街に響く。朝の訪れを伝えるそんな風景が当たり前だった時代が日本にもあった。今や牛乳はガラス瓶から紙パックにとって替わり、スーパーで買う人がほとんどで、そんな朝の風物詩も消えつつある。しかし今もなお宅配をメインとし、親しまれている牛乳店がある。それが〈木村ミルクプラント〉。大正元年、日露戦争が終結し、戦後の何もないところに、初代・木村歳夫氏によって〈木村牛乳店〉は創業した。当時は田畑合わせて7反ほどを所有し、農業で生計を立てていたため、牛乳は片手間に行っていた程度だった。やがて次男・三郎氏が二代目として家業を継ぐ。乳牛10頭程度を飼育し、近隣の酪農家からも原乳を集め1日200〜300リットル程度を製品にした。そして草野・神谷・夏井・四倉地区へ家族全員が手分けして配達していた。「牛の中で育ったでしょう。畜舎のにおいが大嫌いだったので、学生時代、牛乳は全く飲めませんでした。給食も残していました。飲めるようになったのは大学に進学してからですね」と話してくれたのが、三代目・謹一郎さん。昭和28年生まれ。平商業高校卒業後、明治大学商学部に進学。卒業後も公認会計士の資格を取得するために東京に残っていたが、家業が忙しかったこともあり、その年の10月に実家にUターンすることになった。 |
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■生乳本来の味を生かすパスチャライズ製法 |
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牛乳には大きく分けて2種類の殺菌方法がある。一つは殺菌法。65℃で30分間加熱する「低温殺菌法」などに代表されるが、有害菌のみを除去する方法。フランスの細菌学者パストゥールの名前からパスチャライズと呼ばれる。もう一つが滅菌法。130℃〜150℃で1〜3秒間殺菌する「超高温短時間殺菌」などに代表されるが、大手メーカーのほとんどが大量生産のためにこの方法を採用している。この牛乳を気密性の高いアルミコーティング紙パックに無菌的に充填し、生産された牛乳をロングライフ牛乳(LL牛乳)と呼び、昭和50年頃に外国からの輸入が解禁になった。開封前は長期間(3ヵ月間程度)常温保存可能とされ、日本中の消費者が飛びついたが、臭いや味に違和感があることなどから、再び昔ながらの製法の牛乳が見直されるようになり、パスチャライズ製法の木村牛乳は飛ぶように売れた。パスチャライザーという大きな釜に似た殺菌釜で、牛乳にやさしい温度(85℃)で15分間ゆっくりとかき混ぜて殺菌するため、生乳本来が持つコクやミルキーな香りと味わいを得ることができるのだ。平成元年に新工場が落成し、オートメーション化を実現。現在、北は楢葉、南は北茨城までの広い範囲の8、000軒に対し、宅配を行っている。 |
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↑仕上がった牛乳は、最初に十分に殺菌消毒された720mlの瓶に充填していく |
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■コンクールで入賞した木村とろ〜り濃厚プリン |
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「今や様々な飲料やサプリメントなどがあり、牛乳の役割はどんどん削られています。少子化や若者の牛乳離れの影響もあり、牛乳の消費量は減るばかりですよ」と話す謹一郎さん。そこで牛乳加工品の開発にも力を入れるようになった。まずは「パスチャライズカフェ・オ・レ」「同フルーツ・オ・レ」「ヨーグルト」を商品化。平成18年にはプリンに着手。「安さを先行させたのでは夢がない。値段に媚びない一番おいしいプリンを作ろう」と、全国各地の有名店のプリンを試食し、試行錯誤の末『木村とろ〜り濃厚プリン』が完成した。安定剤、香料、添加物を一切加えず、パスチャライズ牛乳・新鮮で安心な卵・ピュア100%の生クリーム・グラニュー糖・トレハロースのみを使用。ミルクの味が生きた濃厚なプリンにほろ苦いカラメルソースが絡まり、絶妙のハーモニーを奏でる。その味が認められ、昨年行われた第6回ふくしま特産品コンクールで奨励賞を受賞することができた。
最近では牛乳配達と共に中元・歳暮時期には贈答品を、通常はグレープシードオイルや焼き芋セットなど各地の特産品も併せて宅配するサービスも行っている。「これからもお客様のニーズをとらえ常に新しいことにチャレンジしていきたい」と話す謹一郎さん、牛乳の未来と共に走り続けて欲しい。 |
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↑工場内の衛生管理は徹底しており、使用した釜やパイプは使用後すぐに洗浄・殺菌 |
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